2/3避病院

「ひびょういん」と読みます。ご存じの方は少ないと思いますが、「冠状病毒」から思い出しました。調べたのはWikipediaです。

 避病院は明治時代に作られた日本の伝染病専門病院です。1876年厦門を経由して日本に寄港したアメリカ海軍の軍艦から、コレラが広まり、爆発的な流行となりました。当時は治療法がなく、「虎狼痢(ころり)」等と呼ばれ、恐れられました。
 明治政府は内務省に「虎列刺病予防心得」を作らせ、警視庁に「避病院仮規則」を作らせて日本各地に避病院の設置を進め、患者の収容・隔離体制を整えました。
 「病院」の名前が付いていますが、感染者を隔離するだけの施設でした。コレラ患者は先ず加持祈祷で「治療」を受け、それが効かないで末期になって運びこまれるのが普通でした。
 このような事情で、街中には作られず郊外が選ばれ、次々と患者が亡くなるので、火葬場の近くに設置した例もあるそうです。医師は2日に1回訪れたの記録もありました。いわゆる迷惑施設で、流行が収まると、速やかに壊されたそうです。
 1883年にコレラ菌が発見され、その他の伝染病も原因菌が特定され、医療機関としての機能を発揮するようになると、段々と常設化され、赤痢や腸チフスも扱うようになりました。
 1897年に伝染病予防法が制定され、避病院は法的には「伝染病院」となりましたが、「避病院」の名前は長く残りました。その後のスペイン風邪の流行時もその対処に使われました。
 戦後は公衆衛生が向上し、伝染病は激減し、伝染病院の隔離病棟は総合病院に呑み込まれ、発展的に解消しました。

 戦後直ぐの頃、私が覚えているのは、「あそこには近寄るな」と厳しく注意されたことです。跡地だったかもしれません。「ひびょういん」だけはしっかり覚えていますが、調べて初めて「避」病院と知りました。

2月3日  戦前生まれのT.HoSoDa

 

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